根腐れ草
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2008/08/26//Tue.
祖父母との記憶を書いていこう2
私はよくヤマに行った。

畑に行くときは喜んでついていった。
3人が畑を耕すときは、道端に座り、一人で遊んだ。

昼休みや、休憩したときには、桃ジュース、「ネクター」を貰ってよく飲んだ。
畑には、こんにゃくいも、いんげん、じゃがいも、ふきなどが植わっていたのを思えている。
帰るときは、鎌しか入っていなかった大きな竹篭が野菜でいっぱいになっていた。

以前に書いたが、私が小学校一年のとき(23年も前だ)、日航機が隣りの村に墜落した。
私の住んでいた町は大きな騒ぎだったが、それよりも現場に近いヤマはいつもと変わらなかった。

じいさんは、50ccのバイクを持っていた。
バイクに乗せてもらって山を20分ほど下った、少し大きい村の床屋に連れて行って貰ったことがある。
小学生低学年の私達は、髪型は「スポーツ刈り」が流行っていた。それしか知らなかった。
その村の床屋でもスポーツ刈りにして貰った。
じいさんはスポーツ刈りを知らなかったらしく、
「ずいぶんハイカラなんだなあ」と言っていた。
その時の話を元気な頃のじいさんは、しょっちゅうしていた。

山には、畑まで続く道があった。
獣道のようなそこの村人しか通らない道だ。
実際には、道は畑を越えて、山を越える峠まで続いていたが、
そこまでは用事が無く、行くこともない。
その峠まで、じいさんが、私を連れて行ってくれたことがあった。
峠道は祠(道祖神だと思うが)がいたるところにあり、
必ずじいさんは、そこにお供え物をしたり、安全を祈願しながら
山道を進む。畑を越えて、しばらく進むと、大きな木の下に
小さな祠がある。
それを超えてさらに、1時間ほど進めば、峠に出る。
峠にも祠があり、私とじいさんは、そこで、おばあちゃんが作ってくれた
お昼を食べる。
私がこの祠がいつごろ作られたのかを聞くと、
祖父は「弥生時代」と答えた。
それはいくらなんでも古すぎだろう。
じいさんは怪訝そうな私の顔を見て、
「あつしは歴史が好きなんだのう」と大声で笑っていた。
お昼を食べ終わると、
じいさんはこの森に子供の頃のおもちゃを隠したんだといい、
木々の洞を探し出した。
いろんな洞に手を突っ込んで探し廻ったが、結局じいさんの
おもちゃは見つからなかった。

おそらくじいさんの宝物は、
あの峠の森の中にまだあるのだろう。
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