根腐れ草
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2008/08/27//Wed.
祖父母との思い出を書いていこう5
私が高校生の時におばあさんが
入院してそのまま亡くなった。
山から転落して谷へ落ちても
生きていたような人なのに、
病気には勝てなかった。

ヤマでは独特の葬式が行われた。
棺を親族一同で担ぎ、私達孫はその前後を
楽器のような仏具を鳴らしながら、ヤマの墓地まで
歩いた。

おばあさんの亡くなった後、
おばあさんは、昔、大きな製鉄会社の
唯一の女性社員をやっていたことなどを
聞かされた。
信じていた通り優秀な人だった。
誇りに思う。

そしてヤマの家が少し広くなった。

しばらくして、じいさんがボケだした。
私がもう大学生のころ、久しぶりにヤマにいったとき、
私の顔をじいさんが間近でジロジロ見た。
これ自体は昔からのじいさんの癖で、
ジロジロ見た後ニンマリ笑ってくれていたものだ。

でもその時は、ジロジロ見た後、
大声で泣き出した。
「あつしがこんな大きくなっちまったぁ」
ボケたじいさんのなかでは、
私はずっとちいさいままだったんだ。
一緒に床屋にいったころのままの私を
待っていたんだろう。

そのおじいさんも80才を向かえて亡くなった。
山で育ち、山で死んだ、
山しか知らない男だった。

おじいさんが焼かれるとき、
おばあちゃんの泣き顔を初めて見た。

細いけど、年をとっても筋肉の落ちない
じいさんの身体は骨だけになった。

葬儀は沢山の親族が集まった。
5人の子供と、12人の孫、さらに何人かのひ孫。
知らないおじさんたち。
みんなで酒をのんだ。
久しぶりに親族がみんな集まった。
「おじいさんがみんなを会わせてくれたんだね」と
いとこが言った。
そこでいろんな人から、
おじいさんの昔の話を聞いた。
実直な人で、華々しいことはしない人。
でもいろんなことをやっていた。
頼まれたことはやる人だった。
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